】明日は卒業式なのに、
】今日は雨だった。
たぶん体育館で行うだろう。
卒業式だからと言っても、私にとって卒業式じゃない。
だって私はまだ一年間銘伝で勉強するもん!



夕べあきらに就職について相談したんだ。
まあ、いろいろな貴重な意見を聞いたけど、
私と彼の会う前の生活は全然違って、性格も違うから、
あの意見が私にとって役立つとは言えない。
でも、職場の経験があまりないより、
誰かからこういうことを教えてくれるなんてもう十分だ。
後は自分で仕事からいろんな経験を積み重ねるんだ。
(でもこの前、仕事をちゃんと捜しなさい!)



夕べもこういう発想もぴんと来た。
この前、私はここで「小説家は金を稼ぐことが易しいみたい」の日記を発表した。
「もし、自分の気に入る仕事をなかなか見つけなければ、
小説家にならない?」
と自問した。
そうだね、
村上龍も自分がサラリーマンになれないと思っていたから、
小説家になっちゃったじゃない?
私の性格はたぶん家で何かしようのような気がする。
だから、最近家で翻訳という仕事を留意してたんだ。
翻訳家になれない上は、小説家になるのもいいんじゃない?
でも、朝(?)起きて、もう一度この発想を考えた。
小説家もいろいろなんだ。
どんな小説家になりたいの?
もちろん、稼ぎやすいロマンスの小説家になるに違いないよ!
だって、Hのことを半分以上を書いて、
その中に何か特別なことを起こらせるなんてあまり書かなくてもいいもの。
でも、Hというと、私は上手にそのHのことを描くことができるの?
できないよ!
もし、私はずっと前からこのHの小説をよく読んでいたら、
得意なレベルになれなくても、
せめてHの過程をちゃんと書けるはずだ。
そうでなければ、小説のあらすじを重視しなきゃならないんだ。
自分らしいあらすじ?
文字というものは私にとって、
「皆に笑わせたら、私も喜ぶんだ」ということだ。
感性というものはいつも私が他の人の小説からもらうということなんだ。
こう考えたら、
私は本当に小説家になれる?
心のやみ!
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